神の願いは人が命の木から食べることである

Published / by The church in Kyoto

創世記2:8-9 そして、エホバ・神は東のほうのエデンに園を植えられた.そして彼は形づくった人をそこに置かれた。エホバ・神はその土地から、見て喜ばしく、食べるのに良い、すべての木を生えさせ、さらに園の中央に命の木と、善悪知識の木とを生えさせられた。

 聖書はすばらしい書です。聖書は何について語っているのでしょうか?聖書は、キリスト、命、救いについて語っていると言うのは、完全に正しいです。また、聖書は、妻が夫に服従すること、夫が妻を愛すること、子供が両親を敬うこと、両親が子供を顧みることについて語っていると言うのも、間違っていません。聖書は、謙遜、忍耐、平和、善良について語っていると言うのも、間違っていません。聖書は、神の愛、神の光、神の聖について語っていると言うのも、間違っていません。さらに、聖書は、わたしたちに神を礼拝し、神を愛し、神に仕えることを教えると言うのも、間違っていません。わたしたちは、聖書が語っている何百、何千もの題目を列記することができます。しかし、不思議なことに、キリスト教の中で、聖書は食べることについて語っていると言うメッセージを、わたしたちは聞いたことがありません。

 聖書が命の書、救いの書、愛の書、また教えの書であることは事実です。しかし、この章の聖書の言葉を読めば、あなたは聖書が食べることについての書であることを認めなければなりません。 (さらに…)

人はどうすれば心の渇きが癒やされるか?

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この世の物は何一つ内なる渇きを解決しない

大勢の人たちは、この世の中から渇きを解決する道を見いだそうと、この世の事物から、その渇きを解決する何かを探し出そうと思っています。しかしす べてこのような望み、このような追求をしている人は、必ず失望に終わってしまいます。なぜならこの世の事、この世の物は何一つ真にわたしたちの内なる渇きを解決してくれるものではないからです。

この世の事物は必要を強め、渇きを深め、なおー層の不満を感じさせる

この世の事物はわたしたちの渇きを解いてくれないばかりか、かえって一層の渇きを加えるだけです。 この世の事物が人に与える喜びと楽しみは、むしろ人のために渇きを作り出すものです。人が金持ちになつて享楽に浸れば浸るほど、一層富と享楽を欲するのが 世の常です。人が美しくモダンであればあるほど、ますます美しくモダンでありたいのです。もし芝居を見に行かなければやがては行きたいと思わなくなりま す。ところが一度でも行くと、渇きが出てきてさらに行きたくなります。先週の土曜日に映画を見に行かなかったら、今週の土曜日には行かなくてもすみます。 ところが先週の土曜日に映画に行ったとすると、今週の土曜日には行かずにはいられなくなるのです。ですから行けば行くほど見たくなるし、見たいと思えば思 うほど、ますます見に行くことになります。とにかく内なる渇きが解決されないばかりか、かえって募るばかりです。その他の事もやはり同じではないでしょう か。とばくをする者はますますかけごとをしたくなるし、ダンスをする者は踊れば踊るほど踊りたくなるし、たばこを吸う者は吸えば吸うほど吸いたくなるし、 酒を飲む人は飲めば飲むほど飲みたくなるものです。このような罪のことだけでなく、人生における正当な事柄においても同じ原則です。地位が高ければもつと 高くなりたいし、事業が大きければますます大きくしたいし、金銭を多く持つ人ももっと多く欲しいと思うものです。

要するに今の世の事物は、すべてあなたの必要を強め、あなたの渇きを深め、なおー層の不満を感じさせるばかりで、あなたの渇きを解決してくれるものは何一つないのです。みなさん、あなたとわたしの体験がすでにこのことを十分に証明しているではありませんか。

ではどの様にすればこの渇きは癒やされるのでしょうか? (さらに…)